おいしく楽しくお肉を食べよう!
  • 特選お肉レシピ
  • なるほどコラム
  • お肉料理のノウハウ
  • もっと知りたい!お肉のこと
  • 心をこめて食卓へニッポンハムグループ

なるほどコラム

近代日本の肉食文化を牽引した牛肉

「肉好き」を堂々と公言する人も多いこの頃だが、昔々、日本で肉食は禁止されていたということは多くの人が知るところだろう。いつ、どんな形で肉食が人口に膾炙していったのか。その一端をのぞいてみよう。

西洋化のために奨励された肉食文化

イラストレーション/漆原冬児

元号が江戸から明治に変わり、明治維新と呼ばれる文明開化の時代を迎えた頃。和装から洋装になり、鹿鳴館でダンスパーティーが行われ、「西洋に追いつけ、追い越せ」は日本のスローガンでもあった。
西洋人とは体つきの異なる日本人の体格向上のためと称し、明治新政府が発表した政策の一つに「肉食奨励」があった。それまでは、仏教によって肉食は禁忌とされていて、一般の人はおろか、貴族や皇族でさえ口にしなかったと言われている。近代を迎えて、ようやく人々は肉を食べるようになったのだ。
明治5(1872)年に僧侶の肉食を解禁すると、同年の秋には敦賀(当時の福井)県で「牛肉は健康長寿の元である」という条例が発令された。
ここから一気に肉食が全国に広まるのだが、実は、その前からも牛肉は庶民の間で絶大な人気を誇っていたのだ……。

お国が定めるより早く、庶民は牛肉の魅力に気づいていた

僧侶の肉食が解禁になった年からさかのぼること10年、文久2(1862)年の横浜。当時、横浜の山下町には外国人居留地があり、町全体の西洋化が進んでいたため、外国人向けの商売も盛んだった。
そんなとき、横浜の住吉町で「伊勢熊」という居酒屋をやっていた主人が、「これからは牛鍋屋が儲かるから、店を改装しよう」と言い始めた。しかし、妻は大反対。そこで主人は、店を半分ずつに仕切り、居酒屋と牛鍋屋をやることで妻を説得。いざ、店を開けてみると牛鍋屋は大繁盛!
反対していた妻も、この事態を受け入れざるをえず、一軒まるごと牛鍋屋になったという。
その後、慶応元(1865)年には横浜・吉田町で牛肉の串焼き屋が大当たり、明治2(1869)年には東京・新橋の牛鍋屋が大盛況。これが、かの有名な仮名垣魯文『安愚楽鍋』につながっていくのだ。
お国が定めるよりも早く、牛肉は庶民の舌を満足させていた。おいしいものが人気になるのは、いつの時代も同じことなのだ。

前のページへ戻る

ピックアップ