4 未来への挑戦
研究開発力で『プロテインクライシス』に挑む(前編)

食文化を守りながら地球環境との共存を

たんぱく質不足の危機が迫るなか、日本ハムが描く未来のたんぱく質開発・供給に向けた研究開発戦略とは? 食文化を守りながら地球環境との共存を目指す取り組みを、日本ハムの大石泰之執行役員(中央研究所担当)が、2025年大阪・関西万博のテーマウィーク『食と暮らしの未来』期間に開催されたイベント「NIKKEI 食の未来シンポジウム」で語りました。(聞き手:藤井省吾・日経BP総合研究所チーフコンサルタント)

大石泰之

日本ハム大石泰之・執行役員(中央研究所担当)

1991年日本ハム入社。ハム・ソーセージ部門の商品開発、技術開発、工場品質保証業務に従事。その後、中央研究所において畜産分野と食品分野を中心に基礎研究と新規事業創造を担当。食品検査技術開発や食育・栄養研究にも取り組み、2018年より培養肉など新たんぱく質やスマート養豚といった持続可能性・社会課題解決起点の研究開発を推進。20年品質保証部長、23年より執行役員として中央研究所、品質保証部、お客様志向推進部を担当。

藤井省吾

藤井省吾・日経BP総合研究所チーフコンサルタント

1991年日経BP入社。医療雑誌『日経メディカル』記者、健康雑誌『日経ヘルス』副編集長を経て、2008年~13年まで『日経ヘルス』編集長。その後、働く女性の雑誌『日経WOMAN』、健康・美容雑誌『日経ヘルス』、共働き向けウェブマガジン『日経DUAL』、女性を応援するウェブ『日経ウーマンオンライン』の事業推進に携わる。14年には健康・医療の最新情報サイト『日経Gooday』を立ち上げた。22年4月から現職。

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日本の食肉の20%、たんぱく質の6%を供給

藤井:日本ハムといえば、シャウエッセン®に代表されるソーセージやハム、中華名菜®といった惣菜などを製造・販売している会社、というイメージが強いですね。

大石:はい。多くの消費者やステークホルダーの方から、こうした認識をいただいていることは認識しています。ただ、ハム・ソーセージの売上は日本ハム全体の中では10%程度で、売上げ全体の2/3は、実は食肉です。当社は、牛肉・豚肉・鶏肉を中心に「食肉」の生産から販売までも担っており、特にお伝えしたいのは、食肉の扱いシェアが国内の食肉消費量の約20%もあるということです。皆さんが5回お肉を食べたら、そのうちの1回は日本ハムのお肉を食べているという数字になります。

そのほかグループ企業では、例えば株式会社宝幸という会社を通じて缶詰などの水産加工品やチーズを製造販売しています。日本ルナ株式会社ではヨーグルトを中心とした乳製品、そのほかさまざまな惣菜を手がけるグループ企業も多数あり、当然これらにもたんぱく質が含まれています。こうした商品を全部合わせますと、日本人が食べている動物性・植物性たんぱく質全体の約6%を占める量を、私たちニッポンハムグループが供給させていただいている、ということになります。

当社取り扱い重量データおよび外部データをもとに当社にて推計

ニッポンハムグループってどんな会社?(数字はいずれも2025年3月期、当社算定)

藤井:日本全体のたんぱく質の約6%というのはかなりの量になりますね。鶏肉では桜姫というブランドがあります。スーパーマーケットの生肉コーナーでよく見かける、ピンク色の綺麗な鶏肉として印象に残っていたのですが、日本ハムが供給していることを知りました。私のように「知らずにお肉を食べていたら、それが日本ハムのものだった」というケースはかなりありそうですね。

大石:おっしゃる通りです。肉・魚を含むあらゆるたんぱく質のことを研究・開発している企業ということを多くの皆様にまず知っていただきたいと考えています。

筋肉だけじゃない。睡眠にもメンタルにも

藤井:昨年から、日本ハムのたんぱく質に関するさまざまな取り組みを、ウェブサイト「日ハム式 たんぱく質未来マップ」で発信するなど、コミュニケーションにも力を入れていますね。その中でたんぱく質を「幸せを身体に運ぶ栄養素」と表現しているのが面白いと感じました。今までたんぱく質といえば、「ボディビルダー」というイメージがありましたが、誰にとっても幸せを身体に運ぶという理解の進め方は新しいと思います。

大石:たんぱく質を摂取すると筋肉が作られるという印象があると思いますが、実は身体の中で色々なところで働いているのがたんぱく質なのです。

たんぱく質をとることで、身体にはこんなメリットが!

左側には人間の体成分の割合を示す円グラフがあり、水分60%、たんぱく質20%、脂質15%、糖質/その他5%と記載されています。右側には、たんぱく質の摂取による具体的なメリットが紹介されています。やる気の材料である「ドーパミン」や幸せの材料「セロトニン」を生成し、メンタルの改善に寄与。睡眠を促す「メラトニン」を生成し、睡眠力を向上。髪や爪の主成分「ケラチン」を作り、美髪や美爪を実現。血液中の酸素を運搬する「ヘモグロビン」を生成し、貧血を防止。筋肉量を増加させて肩こりと腰痛を改善し、美肌の材料「コラーゲン」を生成して美肌を実現。ふくらはぎの筋力を上昇させてむくみを防止し、免疫細胞や抗体を生成して免疫力を向上させる効果が示されています。

藤井:サイトには、たんぱく質が不足していると「疲れやすくてやる気が出ない」「仕事や勉強の効率が上がらない」「イライラすることが多くなる」とありました。一方で「筋トレやダイエットの成果も出ない」「お肌や髪がくすんで見える」「ボディラインがたるんできた」ともあります。精神症状と美容・筋肉の両方に影響するということですね。

大石:その通りです。筋肉を増やすためにも大事ですし、肌や髪に含まれるケラチンもたんぱく質から作られていますし、睡眠に必要なメラトニンもたんぱく質からできています。免疫細胞もたんぱく質があるから適切に働くのです。

藤井:美容業界の取材を多く進めていると、海外の美容治療の先生は治療をしながら同時にたんぱく質たっぷりの食事を食べさせるのです。ここで美容にもたんぱく質は大切なのだということを痛感しました。

大石:身体というのは内側からどんどん再生していきます。その再生のためには当然栄養として摂取するものが必要です。例えば、たんぱく質が不足すると肌荒れを起こすとよく言われますよね。美容では昔からインナービューティーという言葉もあるように、内側から肌の再生力を高めるという取り組みがかなり行われています。

藤井:たんぱく質が「メンタルに効く」といわれるのも同様のメカニズムです。神経伝達物質そのものもたんぱく質から作られているので、たんぱく質をきちんと摂っていないと心の不調にも至るということですね。

たんぱく質ブームの一歩で、摂取に課題も

藤井:2021年の東京オリンピック以降、ヨーグルトやプロテインバーをはじめ、いま「高たんぱく」をうたったさまざまな食品がスーパーやコンビニの棚を賑わせています。改めてたんぱく質が注目されている気がしますが、消費者の認識はどう変化しているのでしょうか?

大石:東京オリンピックが契機になり、アスリートの活躍とたんぱく質摂取との関係が、テレビ番組をはじめとする多くのメディアで取り上げられたことが大きかったのではないでしょうか。今はエクササイズ後にプロテインドリンクを飲む人が性別に関係なく増え、積極的にたんぱく質を摂ろうという機運が高まっている時代になったという印象があります。

ただしメッセージが届くべき人たちに届いていない場合もありますね。ある程度の年齢以上の方たちの中には、コレステロールや中性脂肪のことが頭にあるあまり、たんぱく質の摂取が控えられがちになっています。野菜の場合は1日の摂取量の目安である350グラムを頑張って摂るのに、たんぱく質の摂取には意識が向かない人もいますね。

たんぱく質は毎食20グラム以上が必要だと言われていますが、実はその量を毎食摂るのは難しいのです。摂取しているつもりでも、振り返って計算すると意外と十分な量を食べられていない人も多いと聞いています。

食肉は世界中で奪い合いになる

藤井:そんなたんぱく質ですが世界的に供給が不足して将来的には日本でもたんぱく質そのものが入手できなくなる「プロテインクライシス」が起こるのではと危惧されていますね。
プロテインクライシスを解決しようという思いは、たんぱく質の供給に責任を持とうとする御社の考えの背景にあるのでしょうか。今、企業は明確に向き合うべき課題を定義してマテリアリティ(重要課題)と呼んでいますよね。

大石:ニッポンハムグループは将来どんな存在となりたいのか、それを実現するために何をすべきかを考えて、2030年の未来像である「VISION2030」と、その下の五つの重要課題を作っています。日本ハムがこの社会に存在してくれて良かったと、多くの人に言っていただけるような会社になるには、我々は何を提供したらいいのか。その議論の中で我々が生み出せる一番大きな価値は「たんぱく質」だと結論づけました。

ニッポンハムグループのたんぱく質への思い

その上で私たちはたんぱく質に関する調査を行い、プロテインクライシスを含めたたんぱく質を取り巻く環境はこの先大きく変わるだろうと予想しています。2040年頃には皆さんが食べているお肉が世界中で奪い合いになることも十分に考えられます。もしプロテインクライシスが起こって、たんぱく質を摂りたくても手に入らないということになれば、皆さんの健康を守れません。この先も安定的に不足なくお届けしていくことは日本ハムとしての最優先課題だと思っています。

藤井:世界全体で見ると、所得水準が上がると植物性のたんぱく質を食べていた人も肉を食べるようになると言われています。中国も昔は大豆の輸出国でしたが、今は大豆の輸入国になっています。食肉の需要も急激に高まり、豚肉は諸外国から買う量の方が多くなっていると聞きます。

大石:農林水産省によれば、2023年度の日本の食料自給率はカロリーベースで38%です。これはすなわち約6割の食料を海外に依存しているという状況になります。世界の人口が増えて、肉はみんなが欲しいということになると、当然ながら競争になります。日本はこれからも買い続けていけるのでしょうか。実際にはすでに日本も買い負けを始めているのです。

日本の食料自給率

今まで日本は経済的に豊かでしたから世界中から食料を買ってくることができました。ところが、その立場が逆になるかもしれない。日本が本当に限られた食料しか手に入れられなくなるかもしれません。

藤井:「買い負け」というのは怖い言葉ですね。第二次世界大戦後の食糧難ほどではないにしても、食べるものが十分にないというようなフェーズが来る可能性もあるということですね。
確かに世界中で、経済の拡大があり、食文化もおいしいお肉を食べたいという動きがあり、実際に肉の消費量は増えています。一方で地球温暖化対策として緑の保全も必要なのですが、ブラジルなどでは、ほかの産業の影響もあるとはいえ、農業・畜産のために森が失われているという報告もありますね。

食の持続可能性を守ることは文化を守ること

大石:そうなんです。人類が食料を確保するための1つの手段である「農業」は、自然を切り拓く行為ですから地球環境に影響を与えます。世界の人口は今後さらに増え、その莫大な食料を確保するためのさらなる農業を推進するとなると、環境への影響は甚大なものになります。その結果、私たちはいま持続可能な食料生産とは何かということを問われるようになっているのです。

農業を持続可能なものにしていくことは、持続可能な文化を残していくということでもあります。近年、牛のゲップなどが発するメタンガスが環境に大きな影響を与えていることが注目されています。同じことが例えば日本ではお米で起きていて、水田からも実はメタンガスが発生しているのです。

もしメタンガスが発生するからといって日本でお米を作らなくなったらどうなるでしょうか?水田のある田園風景が消えるだけではなく、水田が保持していた生態系や水質浄化・治水の機能が失われて水の恩恵を受けてきた私たちの暮らしの一部が失われてしまいます。またお米が作れなくなると各地で作られてきた日本酒もなくなります。食やお酒の文化が廃れるとそれを飾る器や食を楽しむ空間のしつらえをはじめ、日本が誇ってきた多様な地域独特の文化も同時に廃れるということを意味するのです。

環境・食・文化はつながっている

実は最近、イタリアでは細胞性食品(培養肉)を禁止する法律が制定されました。その理由は、伝統的な食文化を守るためです。その伝統的な食文化の裏で、食肉の副産物である革がイタリアの大事な産業として根付いているのです。もし牛の畜産をやめれば革がなくなり、イタリアの豊かな文化や産業、民族性もなくなります。

藤井: 文化というのは時代によって変化していくものではありますが、変化はより良い方向にしていきたいですね。温室効果ガスの問題だけを考えるのではなく、それも解決しつつ、持続可能な食文化も維持できるようにどうやっていくのかということですね。

大石:食料と地球環境の両立は極めて重要なことです。ただ、食料を単に栄養素という側面だけで評価できません。食料と何がつながっていて、「私たちは何を残していきたいか」、そして「何を変えていく必要があるのか」に向き合っていかなければいけません。

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