1 たんぱく質の選択肢を増やす
プロテインクライシスの真実と、たんぱく質の安定供給への取り組み①

日本から「肉」がなくなるって本当?

普段当たり前に食べてきた肉が日本の食卓から姿を消し、これまでのように自由に肉を食べられなくなる時代が来るかもしれません。実はいま、そんな衝撃的な未来が2050年に起こると、多くの専門家が警鐘を鳴らしています。それが、たんぱく質の需要が供給を上回り、世界中で食肉を取り合う「プロテインクライシス」。なぜそのようなことが起こるのか、そしてその危機を回避するために、いま日本の食品メーカーは何をすべきか。
世界の食ビジネスに詳しいUnlocXの田中宏隆代表と、日本ハムでたんぱく質の可能性にチャレンジする高崎賢司グループ戦略推進事業部長のお2人に話を伺いました。

株式会社UnlocX
田中宏隆(たなか・ひろたか)・代表取締役
SKS JAPAN Founder

パナソニック、マッキンゼー等を経て2017年、シグマクシスに参画。同年に、食×テクノロジー&サイエンスをテーマとしたカンファレンス「SKS JAPAN」を立ち上げ、食を起点とした事業共創エコシステムの形成を通じた新産業創出を目指す。2023年に食のエコシステム構築に特化した「UnlocX(アンロックス)」を創業。一般社団法人 SPACE FOODSPHERE理事。ベースフード株式会社社外取締役、TechMagic株式会社社外取締役。『フードテックの未来』(日経BP総研)監修、『フードテック革命』(日経BP)共著。

日本ハム株式会社
高崎賢司(たかさき・けんじ)・グループ戦略推進事業部長

1993年日本ハム入社。商品開発、経営企画、営業部門を経て、2021年4月より現職。食物アレルギーケア 総合プラットフォーム「Table for All」や、DtoCサイト「Meatful」の新規事業の立ち上げをはじめ、食物アレルギー対応商品「みんなの食卓®」シリーズや「グラフォア」などの新商品開発にも携わる。

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食肉の増産は簡単ではない

まず、プロテインクライシスとはどのようなもので、その背景にはどのような事情があるのでしょうか?

田中:「たんぱく質危機」とも言われる「プロテインクライシス」のことですね。これは、肉をはじめとするたんぱく質の需要が供給可能な量を上回り、必要な栄養が人々に行き渡らなくなる状況を指す言葉です。遠くない将来に起こると懸念される地球規模で考えなくてはならない深刻な社会課題です。その発生時期は、現在81億人ともいわれる世界人口が約100億人に達する2050年だと予測されています。

高崎:プロテインクライシスが起きるそもそもの理由は、これまで定期的に肉を食べる習慣がなかったアジア、中東、アフリカなどの新興国で人口が爆発的に増え、経済成長が起きることだと言われています。豊かになれば肉が食べたくなる。そのため同地域での食肉消費量が急増し、食肉の需給バランスが崩れてしまう、というものです。やはり今後、相当急激に食肉の需要が高まるのでしょうか?

田中:農林水産省の予測では、2050年の世界の畜産物需要は13.98億トン。7.83億トンだった2010年と比較すると実に1.8倍もの畜産物が必要になる計算です。

世界で急増する畜産物需要

このグラフは世界で急増する畜産物需要の推移を表しています。2010年と2050年の畜産物需要が示されており、2010年には総量7.83億トン(低所得国1.31億トン、中所得国3.05億トン、高所得国3.47億トン)であったのに対し、2050年には総量13.98億トン(低所得国4.65億トン、中所得国4.95億トン、高所得国4.38億トン)と予測されています。需要は1.8倍に増加しています。

出所:農林水産省「2050年における世界の食料需給見通し」(2019年)
※所得階層分類は世界銀行の分類(Analytical Classification(2014年))による、1990年から2014年の各国の年次別の所得階層分類のうち、最頻のものを当該国の階層とした。

「不足分は増産で対応すればいい」と思いがちですが、肉の増産は容易ではありません。主な牛肉生産国はアメリカとオーストラリア。アメリカでは動物福祉や環境保護の観点から従来の工業的畜産への風あたりが強まり、大規模牧場を新設することが困難になっています。また豪州では干ばつの長期化で牧草の生育環境が悪化し、牛の飼育頭数が減り続けています。
食肉の輸入依存度が高い日本にとって頭が痛い、海外からの食肉供給が途絶えるリスクは目白押しです。例えば新型コロナウイルス級のパンデミックが起きると、食のサプライチェーン(供給網)は容易に寸断される。肉の供給はストップし、簡単には回復しません。ウクライナ紛争の長期化であらゆるものが高騰するなか、食肉生産国が、自国民の胃袋を守ることを優先し、輸出を渋る動きも目立ちます。冒頭に説明した世界的な需要増に加えて歴史的な円安の影響も一因となり、経済成長著しい新興国に、日本が肉を“買い負け”する機会が出てきています。
プロテインクライシスの話をすると「想定ほど世界人口は増えない。だから食料危機など起きない」との意見を聞くこともあります。しかし、たとえ人口爆発が起きなくても、さまざまなリスクが複合的に積み重なり危機の引き金が引かれる可能性が十分あることは知っておいた方がいい。人口が100億人に達する2050年以前に、プロテインクライシスが勃発してもなんら不思議はありません。

高崎:食肉メーカーに勤めるひとりとして、いまの田中さんの説明は、うなずけることばかりです。特に新興国が食肉確保に示すアグレッシブさは、私も肌身で感じており、「いまはまだ食肉を調達できているけれど、将来は大丈夫だろうか」と感じることもあります。
こうした調達への不安はいま日本の食品メーカーはどこも持っていると思います。そうしたなかで私たち日本ハムは、生産飼育から販売までを自社で一貫して担う「バーティカル・インテグレーション・システム」を国内外で構築しており、自社グループで豚や牛、鶏の生産をきちんとやってきたという点で、調達面の優位性があると思います。
ただシステムの維持には不断の努力が必要です。目下の国内課題は畜産農家の高齢化。安定供給を今後も続けていくため、一軒一軒の農家のサポートにより真摯に取り組まないといけません。
生産の強化に加え、新たな調達先の開拓も積極的に行っています。長年、牛はアメリカとオーストラリア、豚は欧州、鶏はブラジルから主に供給を受けてきましたが、ブラジルからの豚肉輸入も開始しました。特定地域からの供給が滞っても確実に対処するため、新規の取引国の開拓をさらに進めていきます。

2050年、代替たんぱく質が食肉市場の半分を占める?

―世界的に食肉が不足するのは確実なのに、増産は難しい。解決策はないのでしょうか?

田中:もちろんあります。肉や乳製品の代わりとなる「代替たんぱく質」を開発することです。実はすでにアニマルフリーの代替肉や魚、牛乳を使わないヨーグルトやアイスクリーム、卵不使用のマヨネーズなどが市場に多く登場しており、その多彩さには目をみはります。
日本ではまだあまり話題になっていませんが、ここ数年、代替たんぱく質市場は北米や欧州を中心に活況を呈しています。代替たんぱく質を好んで買うのは、環境問題や動物愛護に関心を持つ層や、植物由来のヘルシーな食品を食べたいと願う層が中心。アメリカのシンクタンク「The Good Food Institute」の調査では、2023年の代替たんぱく質の世界市場規模は小売りベースで290億米ドル(4兆3500万円、1ドル150円の場合)でした。今後も市場は、2030年まで年平均5~9%で成長を続け、同年の世界市場規模は小売りベースで1100億米ドル(16兆5000万円・同)に達すると推測されています。また2050年には、世界の食肉市場の半分を代替肉が占める、との予測もされています(三菱総合研究所調べ)

では、実際の代替たんぱく質にはどんな種類があるのか。現在、主な代替たんぱく質は、以下の4つのカテゴリーに分けられます。

  • 豆、野菜、種子などの植物性原料で、肉、魚、卵、乳製品などの見た目や味わいを再現する「プラントベース
  • 動物の細胞を培養液に浸し、できた筋繊維を重ねて肉とする「細胞性食品
  • 特定の微生物を使って発酵を促し、任意のたんぱく質を生成する「発酵
  • 植物に遺伝子を導入し、植物の内部で特定のたんぱく質を増やす「植物分子農業

4カテゴリーのうち、すでに商業ベースに乗っているのが「プラントベース」です。代替たんぱく質への意識が高いアメリカには、プラントベース関連のスタートアップが700社以上もあります。その先頭を走るのが、インポッシブルフーズ社とビヨンドミート社です。両社は大豆やえんどう豆などで、本物の肉で作られたものと味も見た目もそっくりな代替肉(プラントベースの肉)のハンバーガーやソーセージ、ひき肉などを製造。スーパーやファーストフード店などに商品を卸し、高い人気を得ています。日本でも最近、プラントベースのから揚げ、刺身、うなぎなどを店頭で見かける機会が増えていますね。

世界的に注目される日本人の「味作り」

日本ハムのNatuMeatブランドのフィッシュフライのパッケージと、皿に盛り付けられたフィッシュフライ

※調理例

高崎:私たち日本ハムも、代替たんぱく質を肉に代わる新しいたんぱく質ととらえ、大豆たんぱくを原料に肉のうまみを再現したプラントベース「ナチュミートシリーズ」などを2020年から販売。細胞性食品や麴菌を使った商品作りも進めています。乾燥大豆などを使った「肉もどき」は以前からありましたが、最近のプラントベースの商品は明らかにレベルが違い、味の面でもとてもおいしくなっています。

田中:雲泥の差です。インポッシブルフーズ社とビヨンドミート社が製造する代替肉のひき肉やバーガー用パティは、通常の肉と同様、“鮮肉”としてスーパーの店頭に並びます。焼くと色付き、“肉汁”が滴り、芳香が鼻をくすぐる、本物の肉さながらの調理体験を味わえるのです。インポッシブルフーズ社は、肉を焼くと焦げ目がつき、良い香りがするのは、血液や筋肉中の化合物「ヘム」の働きによること、ヘムは大豆にも微量ですが含まれることに着目したようです。遺伝子組み換え酵母を使って大量生成した大豆由来のヘムを代替肉に加え、肉そっくりの風味や味わいを生んでいます。それに対し、ビヨンドミート社は遺伝子組み換え技術を使わず、野菜のビーツで、肉の赤身や肉汁をリアルに再現しています。

高崎:先日、イスラエルのスタートアップが3Dバイオプリンターで作った、プラントベースの代替肉ステーキを試食する機会がありました。甘みを含んだ味わいと、舌でとろける食感はハラミにそっくり。目をつぶって食べたら、本物の肉と信じてしまうほどのおいしさでした。これほどの代替肉を3Dプリンターで作れるなら、畜産現場で深刻化している労働力不足も多少は緩和できるのではと感じました。

田中:これまではどのような技術・原料で代替肉を作るかという議論をされてきましたが、最近、議論のテーマは「その技術を使いながら消費者にいかにおいしく食べていただくか」という味の設計フェーズに移っています。思想や宗教により通常の肉を食べられない方への配慮や対応ではなく、単にプロテインクライシスに対応するためならば、100%普通の肉、100%代替肉である必要はまったくなくて、ミックスしたっていい。それによってこれまでにない食感やおいしさを実現できれば、そっちの方が多くの人にとって幸せなはずです。

高崎:それはまさに我々が加工肉の分野で長年やってきたことですね。いろんな食材の良さを生かしながら、新たなおいしさを追求するというのは、日本ハムはもちろん日本のメーカーの得意分野だと思います。

田中:そうなんです。そして実はこうした代替肉をうまく使いながら「新たな味を作る」という分野では、日本の食品メーカーのノウハウや、日本人の料理人の繊細な味覚といった「世界最高峰のおいしさ設計技術」が求められているんです。すでに世界中の代替肉ベンチャーの味作りの分野で日本人が活躍しているんですよ。

CO2を使って作る代替肉も

そして、プラントベースの次のブレーク商品の候補とされるのが、「細胞性食品」です。牛の幹細胞を培養して作られた世界初のハンバーガーが誕生したのは2013年。ただハンバーガー1個が33万ドル(約3500万円)という、高すぎる生産コストが足かせになり、なかなか市場投入の見通しが立ちませんでした。

そんななか、2023年1月、まずシンガポールで米イート・ジャスト社の細胞性鶏肉の取り扱いがスタート。同社の鶏肉は、小売り用培養肉の世界第一号となりました。続く6月、アメリカ国内でも、イート・ジャスト社と米アップサイドフーズ社の細胞性鶏肉の販売が始まりました。いずれも商品は100%細胞性肉ではなく、原料の一部に代替肉を混ぜたハイブリッド。100%細胞性肉のままコストカットできる技術の確立を待たず、混ぜて販売する道を選んだのでしょう。
日本には細胞性食品に焦点を当てた法令やルールがなく、法整備が進むのはこれから。国内での販売解禁はもう少し先になりそうです。

3つ目の「発酵」は、食品そのものをダイレクトに作るプラントベースや細胞性食品肉とは違い、微生物に動物の遺伝情報を導入し、特定のたんぱく質を作り出す技術です。このカテゴリーの先駆者・米パーフェクトデー社は、発酵由来の乳たんぱく質を原料に、代替ミルクや代替アイスクリームを開発。代替ミルクは米スターバックスでも採用されるなど、少しずつですが市場に浸透しています。

高崎:醤油や味噌など、日本の伝統食品の多くは発酵というプロセスを経て作られます。微生物の力でたんぱく質を生成する彼らの技術は、日本人にはどこか身近に感じられます。

田中:同感です。発酵技術を活用し、日本の発酵文化を受け継ぐプレイヤーが出現しないかと期待しています。代替たんぱく質が、食文化の継承を支える役割も果たせたら、すてきですよね。

高崎:そして4つ目が、たんぱく質の生成に植物を使う、「植物分子農業」ですね。

田中:植物に特定のDNA配列を導入し、光合成によって任意の成分を作る技術で、ワクチンや抗体を生産するために考え出された医療技術を転用しています。これまでに米アルピノバイオ社は、大豆を使ってチーズ用の乳たんぱく質を、イスラエルのポロロ社はジャガイモを用いて卵たんぱく質を、それぞれ製造。また日本のスタートアップであるキニッシュ社は、乳たんぱく質を生成するイネの開発に成功しています。

高崎:これら4カテゴリー以外に、田中さんが注目している代替たんぱく質はありますか?

田中:個人的にワクワクするのは、二酸化炭素でバクテリアを培養し、粉末状のプロテインを生成する米エアープロテイン社の代替たんぱく質です。かつてNASAが挑戦した、宇宙空間での食料生産技術が元になっており、できた粉末を副原料にさまざまな代替食品を製造できます。薬も抗生物質も使わず、数日間で生成でき、アミノ酸やミネラルも豊富と良いこと尽くめ。たんぱく質不足と気候変動を解決する切り札になるかもしれません。

誰もが同じテーブルを囲める「自由度」を

―代替たんぱく質に共通する、現時点の課題やメリットは何でしょうか?

田中:目下の課題は割高な価格。本当の肉と代替肉が同じ売り場に隣り合って並んでいて、本当の肉の方が安かったら、大半の人は肉に手を伸ばすでしょう。でも代替肉の方が安ければ、試してみようと選んでもらえ、おいしければリピートされる。肉食の人にも気軽に試してもらうには、価格の優位性は外せない条件です。
環境や人体への安全性に未知数な側面がある点も課題です。代替肉はコレステロールこそ低いものの、塩分は高めと指摘されていますし、細胞性食品は、培養時にエネルギーを使い、二酸化炭素も排出するのに、その量が明らかにされていません。
一方で、メリットももちろんたくさんあります。地球環境を守れる上、動物の命を奪うことなく肉のおいしさを堪能でき、生の肉と違ってバクテリアが付着する恐れもなく、より衛生的です。
そしてもうひとつ、アニマルフリーが可能な代替たんぱく質ならではのよさが、“みんなが同じテーブルを囲む自由”を支えられること。食事の際、周囲と同じたんぱく質を摂りたくても、宗教、信条、体質などの切実な事情で、叶わない人たちがいます。これまで「スタンダード」とされてきた肉メインの食事には、私たちが思う以上に、“自由度”が欠けていたのかもしれません。寛容さや多様性が叫ばれる時代、同じテーブルを囲む自由を保障する代替たんぱく質のメリットは、もっとアピールしていいことだと感じます。

UR2024のランチセッションで提供した弁当

高崎:代替たんぱく質が、同じテーブルを囲む自由を保障する……。なるほど、確かにそうですね。実は今年6月、兵庫県姫路市で開催された世界銀行・防災グローバルフォーラムUR2024のランチセッションに、日本ハムが弁当を提供。こんにゃく粉や食物繊維を使用したプラントベースまぐろや、大豆ミートが原料のフィッシュフライなどを盛り込み、世界各国からの参加者に味わっていただきました。異なるバックグラウンドを持つ人々が一堂に会し、同じランチを楽しんでいるシーンは感動的でした。代替たんぱく質が持つパワーは、まさにここにあったんだ、と自分たちの進めている取り組みの価値を改めて感じました。(次回に続く)

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