期待集まる動物性食品由来の
「イミダゾールジペプチド」
炎症を抑えて脳の老化改善に可能性が
筋肉のもととなり、身体を作る栄養素として一般に知られているたんぱく質。実は、認知機能の維持・改善が期待される成分がその中にあることがわかってきた。それが「イミダゾールジペプチド」。鶏肉や豚肉、魚などの動物性食品に多く含まれ、身体や脳の炎症を抑える働きがある。食品成分による脳老化改善や認知症予防の研究を行う東京大学大学院新領域創成科学研究科先端生命科学専攻 細胞応答化学分野の久恒辰博准教授に、イミダゾールジペプチドと認知機能の研究の最前線について伺った。

東京大学大学院新領域創成科学研究科 先端生命科学専攻 細胞応答化学分野
久恒辰博(ひさつね・たつひろ)・准教授
1987年、東京大学農学部卒業。同大大学院農学研究科農芸化学専攻修了(農学博士)。アメリカ国立予防衛生研究所(NIH)/脳疾患および脳卒中研究所(NINDS)客員研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科助手、東京大学大学院新領域創成科学研究科助教授を経て、2006年から現職。社会連携講座「食の未来・エイジングデザイン研究」代表。2001年、サルを使った実験で「大人になっても脳細胞は成長している」との事実を突き止め、世界的に注目される。『1週間で脳から生まれ変わる技術』(扶桑社)など著書多数。
現代人は圧倒的に足りていないたんぱく質摂取量
朝ごはんはパンとコーヒー、お昼は蕎麦、晩御飯にカレーという人は少なくないのではないでしょうか。しかし、「それでは推奨量にも全然足りていないですね。そういう私もなかなか十分な量を摂れてはいませんが」―。
東京大学大学院新領域創成科学研究科准教授の久恒辰博先生が“不足”を嘆いているのは、食事から摂るたんぱく質の量。18歳以上の1日推奨量は男性65g、女性50gとされていますが、これはいわば必要最小限の量で、実際にはもっと多い目標量、例えば65~74歳の男性なら90~120g、女性では69~93gを摂取することが望ましいとされています(いずれも身体活動レベルが普通の場合)(*1)。
たんぱく質は筋肉や臓器、細胞などの材料になる大切な栄養素で、不足すると筋肉量の減少や貧血など、身体への影響が少なくありません。実は、脳機能もたんぱく質の摂取と大きく関わることがわかってきました。久恒先生は、千葉県柏市柏の葉地域の住民(65歳以上)約400人を対象に食生活と脳機能に関する調査を行いました。それについて次のように話します。
「食生活に関するアンケートと認知機能検査を実施し、その関連を調べたところ、動物性たんぱく質と脂質(オレイン酸)の摂取割合が多い人たちは、炭水化物の摂取割合が多い人たちに比べ、認知機能が有意に高いことがわかりました(*2)。つまり、肉や魚をよく食べる人の方が高齢になっても認知機能が良好だということが示されたのです。日本では欧米などと違って肥満の高齢者はほとんどおらず、むしろやせ過ぎが懸念されています。特に60代以降の世代では肉などの動物性たんぱく質を積極的に摂り、BMI(体格指数)23~25程度を目指すのが、身体だけでなく脳の健康にとってもよいといえるでしょう」。
肉や魚に多く含まれる「イミダゾールジペプチド」は脳の認知機能改善に役立つ可能性
久恒先生が高齢者に肉食を薦める理由は、肉類がたんぱく質の優れた供給源であることに加え、脳機能にとっても有益な成分を含んでいるからだといいます。その成分が「イミダゾールジペプチド」です。

久恒先生は、食品成分を使って脳の老化を遅らせたり認知症を予防したりすることができないかと考え、アルツハイマー病モデルのマウスを使って記憶機能の改善作用を調べてきました。「お茶などに含まれるカテキン類や、乳酸菌、魚油などに多い多価不飽和脂肪酸(DHA)、ポリフェノールの一種のフェルラ酸など、いろいろな食品成分を調べたなかで、最も効果が高かったのがイミダゾールジペプチドでした。以来、イミダゾールジペプチド研究は私のライフワークになりました」と久恒先生は話します。
アミノ酸がいくつかつながったものはペプチドと呼ばれる。そのうち、イミダゾールジペプチドは、イミダゾール基を持つアミノ酸ともう1つのアミノ酸とがつながったペプチドの総称で、代表的なものがカルノシンやアンセリンです。これらは脊椎動物の筋肉中に含まれ、特に多いのが鶏むね肉や豚ロース肉です。ほかにカツオなどの回遊魚にもたくさん含まれています。鶏の羽の付け根や魚の尾など、長時間筋肉を動かす部位に多いことがわかっています。
鶏むね肉や豚ロース肉に多いイミダゾールジペプチド
成分値(100gあたりのイミダゾールジペプチド含有値)
出典:日本ハム
イミダゾールジペプチドには、疲労感を軽くする抗疲労作用や体内で発生した活性酸素を消去する抗酸化作用などがあることが以前から知られていますが、さらに久恒先生らの研究で明らかになったのが、脳の認知機能や記憶の改善作用です。
イミダゾールジペプチドの摂取で高齢者の記憶機能が改善
イミダゾールジペプチドを含む食品を19人、対照(プラセボ)となる含まない食品を20人の健康な高齢者に3カ月摂取してもらい、摂取前後の認知機能(記憶力)検査を行った。摂取後と摂取前の検査の点数の差(記憶機能の改善度)を見ると、イミダゾールジペプチドを摂取していたグループで記憶機能の改善が見られた。
健康な高齢者を対象に、イミダゾールジペプチドの摂取が認知機能の維持に役立つかどうかを調べた研究(九州大学や国立精神・神経研究センター、日本ハム株式会社などと共同)を紹介しましょう。この研究では、60~78歳の高齢者39人を2群に分け、一方にはイミダゾールジペプチド(鶏肉由来)を含む食品を1日1g、もう一方にはプラセボの食品を3カ月間、毎日摂取してもらい、摂取の開始前と終了後で認知機能(記憶力)検査を行いました。どちらを摂取しているかは被験者も調査実施者もわからない二重盲検ランダム化比較試験です。
3カ月後の結果は―。プラセボ群では前に覚えたことを後で思い出せるかどうかを調べる記憶力テストのスコアが下がっていましたが、イミダゾールジペプチドの摂取群ではスコアが低下せず、プラセボ群に比べ有意な記憶力の維持が認められました。またMRI検査では、記憶に関わる脳の部位で、加齢に伴う血流の低下がプラセボ群よりも抑えられていました。さらに血液を分析したところ、身体の中の炎症の指標となる炎症性サイトカインと呼ばれるIL-8やCCL-2などの物質も、プラセボ群に比べて有意に減少していました(*3)。イミダゾールジペプチドの摂取により、加齢による認知機能の低下や炎症の程度が抑えられたと考えられます。
この研究結果を受け、次に行われたのが認知症の発症リスクが高い人を対象にした研究です(*4)。軽度認知障害(MCI)は、認知機能が健康な状態と認知症の中間の状態で、何も対策を講じずにいると約5年で半数ほどが認知症に進むといわれています。この研究では、MCIに当たる54人をイミダゾールジペプチド群と対照群(プラセボ)に分け、12週間摂取してもらいました(二重盲検ランダム化比較試験)。
イミダゾールジペプチドを摂取するとMCI(軽度認知障害)でも認知症の重症度が改善
MCIの人54人を2群に分け、一方にはイミダゾールジペプチド食品、もう一方には対照となる含まない食品(プラセボ)を12週間摂取してもらい、摂取前後で認知症評価(グローバルCDR)を行った。結果、イミダゾールジペプチド摂取群では有意に認知症スコアが改善した。さらに、アルツハイマー病関連遺伝子であるAPOE4を持つ人で改善度が高かった。
APOE4はアルツハイマー病に関わる最も重要なリスク遺伝子で、特に日本人に多いことがわかっています。少し古い研究ではありますが、日本人の場合、この遺伝子を1つ持っている人は持ってない人に比べ、アルツハイマー病になるリスクが5.6倍、2つ持っている人だと33倍高いという報告もあります(*5)。「イミダゾールジペプチドを含む食品の摂取を通して、この遺伝子リスクを低減できる可能性も示唆されました。今後さらに研究を進め、認知症予防につなげていきたい」と久恒先生は語ります。
久恒先生は現在、日本ハムなどと共同で、イミダゾールジペプチドやたんぱく質の健康効果について、被験者数と調査項目を増やした規模の大きい調査も進めているそうです。どんな新たな知見が出てくるか、調査結果が待たれます。
イミダゾールジペプチドは、加齢による身体や脳の炎症を抑えて健康に寄与
それにしても、イミダゾールジペプチドはどうして脳の認知機能によい影響を及ぼすのでしょうか。その作用機序を考えるうえで久恒先生が注目しているのが、イミダゾールジペプチドの持つ抗炎症作用です。
「近年、認知症は脳内で起こる炎症と関係していることがわかってきました。老人斑と呼ばれる不要なたんぱく質の沈着や、神経細胞の変性の周囲では、炎症反応が起こり、それが持続することで病気が進むと考えられています。認知症のような病的な状態ではありませんが、健康な人が高齢になると脳の炎症は起こりやすくなります。つまり、炎症は老化と切っても切り離せないのです。マウスの研究で、イミダゾールジペプチドにこの脳の炎症を鎮める働きがあることが明らかになってきました。今後はさらにそのメカニズムを詳しく解明していきたいですね」(久恒先生)。
食品を通して認知症を予防したり、加齢による脳の衰えをできるだけ緩やかにできるとしたら、それは間違いなく朗報です。イミダゾールジペプチドは鶏むね肉や豚肉、カツオ、マグロなどに多い成分なので、普段の食事から摂ることができます。前述の研究では1gのイミダゾールジペプチドを毎日摂取しましたが、これは鶏むね肉に換算すると100g程度に相当するそうです。100gの鶏むね肉にはたんぱく質が20g以上含まれています。たんぱく質とイミダゾールジペプチドの両方が摂れて、一挙両得。日々の食卓に積極的に登場させるとよさそうです。イミダゾールジペプチドはサプリメントで補う方法もあります。

東京大学大学院新領域創成科学研究科では、2022年4月から久恒先生を代表に「食の未来・エイジングデザイン研究」という社会連携講座(日本ハム株式会社と連携)を開講。主に食を介した老化制御や高齢者自らが健康長寿を実現できる方法を開発し、社会実装を目指しています。
「人生100年時代を迎え、多くの人が切に望んでいるのが心身ともに元気に年を重ねられる健康長寿です。その社会課題に応えるべく、今後も地域住民を対象にした介入試験や食生活改善の提案を行い、ゲノム解析やAI技術も駆使して研究を進めていきます。最終的には個々人に応じたオーダーメイドの健康長寿アドバイスやサービスを提供し、研究成果を社会に還元していきたいと思っています」と久恒先生は展望を語ります。
食から広がる健康長寿への道に期待が寄せられています。