地域のショッピングセンターでの運動指導と栄養指導で 高齢者の食と運動に行動変容を起こす
超高齢化が進む日本において、いかに寿命と健康寿命のギャップを少なくし、ウェルビーイング(身体的、精神的に健康で、社会的、経済的にも良好で満たされた状態)を保つかが課題になっています。そのためには前回紹介したようにフレイル予防が重要です。滋賀県で地域の高齢者に向けたフレイル予防プログラムを展開し、その具体的な効果について研究を行う関西医科大学「食と運動で健康を科学する」社会連携講座の西山利正名誉教授に、2023年に大手スーパーマーケットで行われた同プログラムの研究結果について伺いました。


関西医科大学 「食と運動で健康を科学する」社会連携講座
西山利正 名誉教授
関西医科大学総合医療センター国際医療支援室顧問。医学博士。医師。1982年関西医科大学卒業。1986年奈良県立医科大学大学院修了。同大学講師、奈良県衛生研究所総務課主幹、関西医科大学医学部教授、同大学衛生・公衆衛生学講座教授などを経て2024年より現職。専門領域は公衆衛生学、渡航医学、熱帯医学、国際保健学。厚生労働省医員(大阪検疫所)非常勤医員。枚方市開発調査会委員。大阪府枚方保健所運営協議会委員。大阪府寝屋川保健所運営協議会委員。
地域の高齢者が集うスーパーでフレイル予防プログラムを実施
2023年3月28日、関西医科大学と日本ハム、コガソフトウェア、そして滋賀県を中心に165店舗(2025年1月20日現在)を展開する総合スーパーの平和堂は、「食と運動で健康を科学する」を合言葉に食と運動の好循環による社会モデルの構築に取り組む社会連携講座共同研究契約を締結しました。これにより開始されたのが、平和堂運営のショッピングセンター「アル・プラザ彦根」で地域の高齢者を対象にしたフレイル予防プログラム「マイナス5歳の健康づくり教室」です。
このプログラムを始めた背景を、西山先生は次のように説明します。「『栄養』『運動』『社会参加』の3つの要素を軸としたフレイル予防の取り組みは全国の自治体や企業などでも進められています。しかし、多くは栄養なら栄養、運動なら運動と、それぞれの分野に特化した形で単独のプログラムがそれぞれ組まれています。ところが、そもそもフレイルは栄養不足や運動不足、社会参加不足といった原因が複合的に組み合わさり生じます。つまり、予防の取り組みも栄養、運動、社会参加を一体化して行う必要があると考え、こうした取り組みを行うことにしました」
前回の記事*1で紹介したように、2017年から共同研究を行ってきた関西医科大学と日本ハムは、高たんぱく質乳製品および食肉含有加工食品などでしっかりたんぱく質を摂取することと運動を組み合わせることで、要支援・要介護高齢者の筋肉量が増加し、高齢者のフレイル予防に効果があることを実証しています*2。同研究では、身近に行える運動や食事の考え方を説明し、食事や運動の意義を理解してもらうことで、研究に参加した人がたんぱく質の多い食品を選択する「行動変容」が起こることも確認されました。
「フレイル予防の重要性をセミナーなどで啓発するのも大切な取り組みです。しかし私たちが目指しているのはその一歩先の行動変容です。そこでまず、家の中に閉じこもりがちな高齢者が気軽に外出できるような仕組みを作ることを考えました。それに必要なのが高齢者同士が集まることのできる"場"作りです。そこで運動や、効果的な栄養摂取につながる消費行動、人と人との交流ができれば、フレイルの3要素である身体的フレイル、社会的フレイル、精神・心理的フレイルのいずれの予防効果も期待できると考えたからです」と西山先生。
(出典:関西医科大学、西山利正 名誉教授)
「"場"作り」で着目したのが、高齢者が日常的に出かける場所である地域のスーパーマーケットでした。
「滋賀県は2019年、2020年と2年連続で男性の平均寿命が全国1位、女性の平均寿命は2020年に全国2位を記録しており、長寿県として知られています。一方、平和堂は滋賀県を地盤として総合スーパーとスーパーマーケットを展開する企業で、JR彦根駅前にあるアル・プラザ彦根は1979年のオープン以来、地域の人々に愛されているショッピングセンターです。ここへ買い物に通う高齢者もそれだけ多いといえます」(西山先生)。
同ショッピングセンターは2022年12月に全館リニューアルオープンしました。6階建てで、地下1階に食品フロアがあります。フレイル予防プログラム「マイナス5歳の健康づくり教室」の開催場所となったのは4階にある地域コミュニティサロンのフロア「みんなの広場」です。買い物がてら健康づくりの教室にも参加できるのは、まさに西山先生の狙い通りでした。
予防プログラムは「介護予防運動」と「栄養に関する講義」で構成
実際の「マイナス5歳の健康づくり教室」の内容は「介護予防運動」と「栄養に関する講義」からなります。
介護予防運動は、関西医科大学附属病院の健康運動指導士によるオンラインでの運動指導に、現地でのサポートを加えた体制で60分間行うものです。運動は会場内に設置された大画面に映し出された健康運動指導士の指導に合わせて行われますが、会場にもサポートスタッフがいるため、適切な対応が可能です。「サポートスタッフは、事前に関西医科大学健康科学センターが監修した運動に関する5講座を受講し、テストに合格した者が担っています」と西山先生は説明します。
プログラム初回時には体力測定や食事に関するアンケートを実施し、参加者一人ひとりに適したトレーニングメニューを提案しています。「関西医科大学の場合、健康科学センターに健康運動指導士や管理栄養士、臨床心理士が常駐し、生活習慣病の予防などを目的に、一人ひとりに合った運動療法や栄養指導、カウンセリングを実施しています。プログラムの参加者に対しても事前に問診票を作成し、現在の通院の状況や服薬の履歴などを確認してトレーニングメニューを決定しました」と西山先生は話します。
一方、栄養指導は、関西医科大学と日本ハムの知見を備えた食育アドバイザーによる、高齢期のたんぱく質摂取の重要性を中心とした栄養に関する30分間の講義です。これらを週1回、10週間行い、プログラムの前後に「主観的な健康感」や「摂取する食品の多様性」、「食物選択の動機」、「食品群ごとの購買額」などを確認しました。
試験の概要
たんぱく質の重要性を学ぶ講義で高齢者の食行動に変化が起こる
実際の食育アドバイザーによる栄養に関する講義は、次の内容です。
- たんぱく質は身体を構成する要素
- たんぱく質は筋肉を構成する重要な要素
- 筋肉を維持するための食事
- 血糖値を上昇させない食べ方
- たんぱく質の消化・吸収・代謝
- 必須アミノ酸とアミノ酸スコア
- 必須アミノ酸の桶の理論
- PFCバランス(タンパク質、脂質、炭水化物の摂取比率)を気にしよう
- PFCバランスを記録しよう
- 1週間の栄養バランスの確認
一見、専門的で難しそうに感じますが、テキストである『健康記録ノート』に1講義につき1ページで要点がわかりやすくまとめてあり、理解しやすいといいます。また、『健康記録ノート』には、日々の歩数や体重、血圧、体について気づいたことなどの健康状態も記録するようになっており、自分の体調変化などが把握しやすい工夫もされています。

「講義では、たんぱく質を摂取することがなぜ重要なのか、1日にどのくらいの量をとればいいのか、たんぱく質は体内のどこに吸収されて、どのように働くのか、血糖値を急激に上げないためにはどういう順番で食べればよいのか、といったたんぱく質に関する基礎知識から具体的な摂取方法まで、ひと通り学ぶことができます。ただ一方的に講義をするのではなく、宿題も出して自主的に学べる工夫もしました。参加者はもともと健康意識が高い面がありますが、多くの人が非常に熱心に勉強してプログラムに臨んでいました。『ここは調べたけれどよくわからなかったから教えてください』といった質問や、『自分で復習してみて講義の内容がさらによく理解できた』といった感想も寄せられました」と西山先生は説明します。
このプログラムの利点は、ただ講義を受けて運動するだけにとどまらないところです。「学びの場がショッピングセンターであるため、講義の内容とメモを参考に、帰りは食品フロアで自宅での食事の買い物ができます。その際には、参加者の仲間と話をしながら選ぶこともあるようでした。こうした知識の習得や実体験を通し、食材の選び方や買い方、食べ方などが変わり、自然に行動変容につながったと考えられます」(西山先生)。
プログラム終了後にはたんぱく質摂取量や肉類の購買額が増加
同プログラム実施前後の変化の評価は、参加者の中の女性49人(平均年齢73.1歳)を対象に行われました。評価項目は前述したように「主観的な健康観」や「摂取する食品の多様性」、「食物選択の動機」、「食品群ごとの購買額」などです。
これらの評価項目の中で注目すべきは摂取する食品の多様性や肉や魚などの購買額が増大したことです。まず、摂取する食品の多様性については、魚介類、卵類、牛乳、大豆製品、緑黄色野菜類、海藻類、芋類および油脂類の10の食品群を1週間にどのくらい摂取しているか対象者に回答してもらい、食品群摂取多様性を評価しました。評価の指標としたのはDVS(Dietary Variety Score:食品摂取の多様性得点)です。
プログラム参加前の対象者のDVSの平均値は合計3.94点で、地域在住高齢者を対象とした大規模調査で報告されている女性のDVS4.5点(*3)や、東京都区部の女性が大半を占める高齢者集団を対象とした調査で報告されているDVS4.1点(*4)よりも低い値でした。
しかし、参加後の平均値の合計は5.02点と参加前に比べて有意に高くなり、特に肉類、牛乳、大豆製品、油脂類の摂取が増えていました。
プログラム参加前後のDVS(食品群摂取多様性)の変化
前 | 後 | p値 | |||
---|---|---|---|---|---|
平均値 | 標準偏差 | 平均値 | 標準偏差 | ||
魚介類 | 0.22 | 0.42 | 0.31 | 0.47 | - |
肉類 | 0.27 | 0.45 | 0.59 | 0.50 | <0.01 |
卵 | 0.55 | 0.50 | 0.61 | 0.49 | - |
牛乳 | 0.57 | 0.50 | 0.82 | 0.39 | <0.01 |
大豆製品 | 0.47 | 0.50 | 0.63 | 0.49 | 0.04 |
緑黄色野菜類 | 0.65 | 0.48 | 0.80 | 0.41 | - |
海藻類 | 0.22 | 0.42 | 0.16 | 0.37 | - |
いも類 | 0.04 | 0.20 | 0.06 | 0.24 | - |
果物類 | 0.55 | 0.50 | 0.49 | 0.51 | - |
油脂類 | 0.39 | 0.49 | 0.55 | 0.50 | 0.03 |
合計(DVS値) | 3.94 | 2.13 | 5.02 | 1.97 | <0.01 |
DVS値は、魚介類、肉類、卵、牛乳、大豆製品、緑黄色野菜類、海藻類、いも類、果物類、および油脂類の10食品群の1週間の食品摂取頻度から評価する。各食品群に対して、「ほぼ毎日食べる」に1点、「2日に1回食べる」、「週に1、2回食べる」、「ほとんど食べない」の摂取頻度は0点とし、その合計点をDVSとするものである。
(出典:関西医科大学、西山利正名誉教授)
この結果について西山先生は「たんぱく質摂取の重要性についての講義を受けた結果、たんぱく質を多く含む肉類、牛乳、大豆製品のスコアが高くなったと考えられます」と分析します。
また、プログラム参加前後3カ月間の対象者の購買履歴のデータから、たんぱく質を多く含む食品(肉類、加工肉、魚介類、卵、牛乳・乳製品および大豆製品)の購買金額を調査しました。その結果、プログラム参加前3カ月間の購買総額を100としたときの変化率を算出したところ、肉類は242、加工肉は174、魚介類は278へと有意に購買額が高くなりました。
「商品の価格は調査期間の間で一定ではないため、購買額が純粋に購買量とはいえません。ただ、単純に肉類や加工肉、魚介類の購買総額が増えたということではなく、たんぱく質が多く含まれていると認識した商品、あるいはそのことがパッケージなどに表現されている商品を参加者が選んだ結果ではないかと見ています」と西山先生は説明します。
プログラム前後3カ月間の平和堂スーパーマーケットでの各食品群の購買総額の変化率
(プログラム開始前の対象者の購買総額を100とする)
平均値 | 標準偏差 | p値* | n** | |
肉類 | 242 | 403 | 0.04 | 37 |
肉類(加工肉) | 174 | 134 | 0.02 | 32 |
魚介類 | 278 | 582 | 0.02 | 42 |
卵 | 109 | 67 | 0.94 | 24 |
牛乳・乳製品 | 138 | 91 | 0.07 | 33 |
大豆製品 | 179 | 193 | 0.08 | 39 |
(出典:関西医科大学、西山利正 名誉教授)
これらの研究結果が示すのは、たんぱく質を中心とした栄養に関する講義、健康運動指導士によるオンラインでの介護予防運動を組み合わせたプログラムが、高齢者女性の主観的健康観やDVSなどの向上に寄与するということです。
「主観的健康観およびDVSを高めることは、それぞれ高齢者のQOL(生活の質)およびたんぱく質摂取量の増加につながることが示唆されています。このことから、フレイルの予防や早期改善に値するプログラムだと考えています」と西山先生は話します。
また、西山先生は、ショッピングセンターという場が持つ効果にも注目してほしいと言います。「プログラムに参加した高齢者の中には、参加前は週1~2回しかショッピングセンターに来ていなかったが参加後は週3~4回に増えた、あるいは毎日のように来るようになった、という人が少なくありませんでした。足を運ぶ回数が増えれば、運動量もそれに比例して増えます。さらに、ショッピングセンターで友達や仲間に会える楽しみができたという人も多く、精神的フレイルや社会的フレイルの予防においても役立っていました」
高齢者の経済面も踏まえたうえでのウェルビーイングの実現を今後の課題のひとつとしています。「今後は、同プログラムでも具体的な商品選択から調理、摂取までの一連の介入を行い、さらに研究を進めていく予定です」と西山先生は展望を語りました。
