GHGって何? 動物と畜産が引き起こす温暖化とその対策
世界中で自然災害を引き起こすなど喫緊の課題となっている気候変動。その原因である温室効果ガス(GHG)排出と私たちの毎日の食事に実は大きな関係があります。GHGとはどういったもので、このGHGが食にどうつながっているのか? 排出削減に向け、国や企業、そして私たちはどのようなことを意識すれば良いのか。 消費者として、社会人として、投資家として知っておきたい畜産にまつわるGHGのこと。サステナビリティ経営やESG(環境・社会・企業統治)投資の専門家であるニューラル代表の夫馬賢治さんにその現状や、各国・企業が進める取り組みについて聞きました。

ニューラルCEO、信州大学特任教授
夫馬賢治(ふま・けんじ)さん
東京大学教養学部卒業。サンダーバードグローバル経営大学院にてMBAを取得。ハーバード大学大学院リベラルアーツ(サステナビリティ専攻)修了。2013年にサステナビリティ経営・ESG投資アドバイザリー会社を創業し、現職。ニュースサイト「Sustainable Japan」編集長も務める。環境省、農林水産省、厚生労働省、経済産業省、スポーツ庁のESG関連の有識者委員や、国際会議での委員を歴任。著書に『ESG思考 激変資本主義1990-2020、経営者も投資家もここまで変わった』『超入門カーボンニュートラル』(いずれも講談社)、『データでわかる2030年 雇用の未来』(日経BP/日本経済新聞出版)など。
Q. 日本でGHGが注目されるようになったのはいつから?
2020年、菅義偉前首相の所信表明演説がきっかけです。
猛暑や豪雨など、「気候変動」の影響を実感することが多くなった現代社会。こうした気候変動の原因のひとつが、温室効果ガス(Greenhouse Gas=GHG)です。GHGは、二酸化炭素(CO2)をはじめ、メタン(CH4)、一酸化二窒素(N2O)、フロン類など7種類あり、そのうち最も排出量が多いのがCO2。GHG総排出量に占めるCO2排出量は全体の76%となっています(*1)。
いまや世界共通の課題となっている気候変動ですが、その原因であるGHGの排出削減について国レベルで議論されるようになったのは、1997年の国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP3)。このCOP3で採択され、2005年に発効した京都議定書に、初めて先進国に対して排出量削減の義務目標が設定されました。
その後、「大きく議論が前進したのは、『パリ協定』以降」と、ニューラルCEOの夫馬賢治さんは解説します。「2015年のCOP21で採択されたパリ協定では、産業革命前からの平均気温上昇を2度未満に抑え、さらに1.5度以内に抑える努力をするなどの目標が定まり、各国が排出量削減目標を具体的に掲げるようになりました。そうした世界的な流れのなか、日本で『カーボンニュートラル』(温室効果ガスの排出量実質ゼロ)という言葉が広く浸透するきっかけとなったのは、2020年9月の菅義偉前首相の所信表明演説です。『2050年にカーボンニュートラルを目指す』という宣言の影響力は大きく、日本企業の脱炭素への取り組みが加速しました」
Q. 気候変動は、私たちの「食」にも原因があるのですか?
実はGHG排出の3分の1が、食に関連したものなのです。
GHGを多く排出する産業として、一般的には鉄鋼や石油化学、電力や運輸などの業種が注目されがちですが、「2015年のパリ協定以降、食品業界でもGHG削減のアクションが重要な課題となった」と夫馬さんは指摘します。
「実は、世界のGHG排出の約3分の1を占めているのが、食品の生産から加工・流通・調理・廃棄までの活動を含む『食料システム』なんです(*2)」。こうした農業・食料システムによるGHG排出は、気候変動問題に大きなインパクトを与えていると言います。「大規模な森林の農地転換や、農業での過剰肥料利用、工場での食品加工、船やトラックを使った輸送など、食品が消費者の食卓にのぼるまで、さまざまなシーンでGHGが排出されています」
昨年12月に開催されたCOP28の重要な議題の一つは、農業・食料システムを含めた気候変動対策の強化でした。「COP28で、国連食糧農業機関(FAO)は農業・食料システムにおいてGHGの排出を削減するため、世界レベルでの取り組み工程表を初めて提示。食にまつわる一連のバリューチェーン全体で気候変動問題を俯瞰するための土台が、ようやく世界で共有できることになったので、ここから各国・各企業の取り組みが進んでいくと思います」
Q. ハムやソーセージが食卓にのぼるまでに、GHGがどう排出されるの?
動物の「えさ」から流通まで、一連の流れで考えることが大切です。
ハムやソーセージなど肉の加工食品が、私たちの食卓にのぼるまでの間、GHGはどのように排出されるのでしょうか。
飼料からCO2が排出
「GHG排出については、牛や豚など家畜に与える飼料の生産段階から考えなければいけません」と夫馬さんは指摘します。稲わらや干し草、サイレージなどの粗飼料は約8割が国産ですが、とうもろこしや大麦、大豆かすなどを配合した濃厚飼料の自給率は約13%と、原料のほとんどを米国などからの輸入に頼っているのが現状です(*3)。その輸送の際にGHGが排出されます。大規模な農業では、森林の農地転換、使われる重機や輸送、化学肥料の生産などからもCO2を中心としたGHGが排出されます。
日本の農林水産分野のGHG排出量
出典:2024年4月「農林水産分野における地球温暖化に対する取組」(農林水産省)
https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/ondanka.pdf
家畜からメタンや一酸化二窒素が排出
「動物を育てる」という畜産業特有の課題となるのが、家畜の排泄物の管理です。家畜が1日に排泄するふん尿は大変多く、ふんが微生物によって分解される際にはメタン(CH4)、尿を汚水処理する際には一酸化二窒素(N2O)などが発生します。全世界・全産業分野のGHG総排出量のうち、メタンが占める割合は16%、一酸化二窒素は6%ほど(いずれもCO2換算)ですが、メタンはCO2の27倍、一酸化二窒素はCO2の298倍の温室効果があります。
さらに、牛などの反すう動物の場合、摂取した飼料はルーメン(第1胃)内で発酵し、げっぷとして大気中に放出されます。排出するメタンの量は牛1頭あたり、1日300~600リットルにものぼります。「こうした消化管内由来のメタンをいかに削減するかも、畜産業の今後の課題です」と夫馬さんは言います。他にも、工場での加工や包装、輸送など、ハムやソーセージが私たちの食卓に届くまでさまざまな段階で、GHGが排出されています。
ハムやソーセージが食卓に届くまで、GHGはどこで排出されている?
Q. 食品企業は具体的にどのように取り組んでいる?
「家畜の健康に配慮する」工夫が進行中です。
食肉製造とその加工に関わって排出されるGHGを削減するために、飼料の生産から飼料の輸送、畜産、加工、製品の流通までの各プロセスでさまざまな取り組みが行われています。
飼料生産での取り組み
「最もGHG削減の取り組みが進んでいるのが飼料生産など農業分野です」と夫馬さん。「例えば、農地にまく化学肥料からは、大気中の酸素と反応するとGHGの1つである一酸化二窒素が発生します。また、化学肥料を製造する段階で発生するCO2も無視できません。日本の農林水産省も、2021年に公表した『みどりの食料システム戦略』で化学肥料の使用量を2050年までに30%削減することを打ち出しています」。こうした流れのなか、廃棄作物や家畜のふん尿を資源として再利用する循環型農業が取り組みの一つとして、注目されています。
畜産分野での取り組みはこれから
一方、畜産での取り組みは、スタートラインに立ったばかり。夫馬さんは、現時点でGHG削減に最も大きく寄与するのは「家畜の死亡率を下げる取り組みです」と言います。食肉になる前に死亡してしまっては、飼育中にかけたエネルギーが無駄になり、排出したGHGの全てがただ余計に排出しただけになってしまいます。ですから「家畜にとって良い環境で肥育することで、罹患率や死亡率を下げてリソースの無駄を省くことが、実は気候変動対策にもつながっているのです」。ちなみに近年の気候変動による猛暑や豪雨は、家畜の生存にダイレクトに影響しているそう。そうした負のスパイラルを止めるためにも、家畜の健康管理は喫緊の課題なのです。
罹患や死亡率を下げるには、畜舎を広くするなど家畜にとってストレスの少ない環境を整えながら、換気や送風、ひさしを利用した遮熱など「温暖化そのもの」への対策も進めなければなりません。さらに、夫馬さんは「飼料要求率(増体重あたりの必要飼料量)を改善し、効率良く肥育させることもGHG排出削減につながる」と指摘します。不足しやすいアミノ酸などを添加した飼料で栄養バランスを整え、肥育日数を減らす試みなども始められています。
牛のげっぷで発生する「消化管由来メタン」への取り組みについては、「いままさに大学や研究機関、企業が連携して研究を重ねている段階」とのこと。近年の研究では、カシューナッツから抽出した油や「カギケノリ」などの海藻を飼料に混ぜることで消化管由来メタンの発生を抑制できることが明らかになっています。ただし、こうした飼料によるトータルのGHG削減効果や、餌の変化が家畜の成長や肉質への影響は時間をかけて検証する必要があります。
家畜の飼育環境整備はGHG削減にもつながる
いずれにしても、「食品のGHG排出について、ある過程の一部分だけを切り取って評価することは難しい」と夫馬さんは釘を刺します。「商品が店頭に並ぶまでには、原材料の生産から、製造、それを店頭に届ける物流など多くの工程があります。企業は、サプライチェーン(供給網)も含めて、さまざまなアプローチからGHG削減を進めないといけません」
Q. 気候変動によるリスクと国・企業の責任って?
気候変動は、食料価格高騰の大きな要因の1つです。
気候変動で大きな影響を受ける産業の1つが農業や畜産です。「昨今の食品価格高騰の背景に気候変動の影響があります。危機意識が高まるなか、エネルギー分野と並ぶくらい、食料分野での対策は重要課題であるとして、国際的にも議論されています」
一方で、気候変動対策を進めると、それがコスト増となって食料価格はさらに上がってしまうのではないか、という懸念も。これに対して夫馬さんは「長期的に見ると、何も対策しないことで気候変動がさらに進み、より価格が高騰する可能性があります」と言います。「将来の食料価格の安定のためにも、いますぐに対策を進めるべきというメッセージが、国連をはじめ日本の農林水産省からも発信されています」
法規制も含めて最も先進的な取り組みを行っているのは欧州だそうです。「古くから畜産業が盛んな欧州では、このままでは畜産自体がなくなりかねないという生産者の強い危機意識があります。持続可能な農畜産業を実現することで、自分たちの産業を守っていこうという意欲的な生産者からのアクションも目立ちます」
一方、とうもろこしや大豆など、飼料の原料である農作物の生産大国である米国。GHG削減は、有機農業など農業部門の取り組みが先行し、間接的に畜産部門もその恩恵を受けていると言います。「脱炭素を進める小売大手のウォルマートやコストコではGHGに配慮した“低炭素”食品のニーズが高まっています。小売業がけん引するかたちで、畜産・食品業界の脱炭素化が進んでいくと思います」
日本では、農林水産省が2021年に食料・農林水産業の生産力向上と持続性の両立を目指す「みどりの食料システム戦略」を策定し、2022年には「みどりの食料システム法」を施行。国の主導で有機農業など持続可能な農業への転換に舵を切りました。先行する欧米と同じく、まずは農業分野からの取り組みが推進されています。
Q. 食品企業のGHG削減の課題はどんなところにある?
投資家や消費者、さまざまなステークホルダーとの対話が欠かせません。
ESG投融資が世界的に拡大するなか、「食品企業のGHG削減の取り組みに対する投資家の注目度は非常に高い」と夫馬さんは見ています。機関投資家と呼ばれる大規模な資金を運用する投資家が食品企業に行う対話(エンゲージメント)でもGHG対策は重要なテーマとなっていると言います。
2021年のコーポレートガバナンス・コードの改訂によって、東証プライム上場企業は、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)のフレームワークに沿った情報開示(またはTCFDと同等の枠組みに基づく開示)を求められることになりました。TCFDは、気候変動リスクに対する国際的な枠組みです。企業の気候変動対応を把握したい投資家にとって、投資先を選別する大事な手がかりとなります。「ESGなどの非財務情報は、長期的な企業価値を左右する “未来のための財務情報”であると最近の投資家は捉えています」
一方で、気候変動問題への取り組みは、すぐに結果が出ないのが悩ましいところ。「GHG削減を目指す食品業界の本格的なイノベーションは、いまだ研究を進めている段階。動物を相手にする畜産業では特に、一朝一夕には結果が出ません。10年や20年など、長期的視野で取り組む必要があります」と言います。
また、取引先などサプライチェーン(供給網)も含めたGHG排出量である「スコープ3」の開示も難しい課題です。「サプライチェーン全体を通して排出量削減の取り組みを行うには、企業同士の対話が重要。大手企業は積極的にサプライヤーと対話して必要なサポートをするなど、できることから地道に取り組んでいくことが期待されています」
毎日の「食」にも、深く関わる気候変動問題。「私たち消費者も食品企業のステークホルダーの一員です。日々の食卓でも、国や企業が進める気候変動への取り組みについて思いをはせながら、企業や生産者を応援していく気持ちを持ちたいですね」