プラントベースフード技術が生む
「これまでにない代替魚介」
日本の国民食・まぐろの刺身を植物性素材で再現した、日本ハムの「プラントベースまぐろ」。多くの魚好きが思い浮かべる「まぐろの味」を再現すべく、ほのかな甘みや赤身独特の風味、そして脂の乗りまでを研究し、開発した商品だ。しっとりと控えめな艶もありつつ、包丁で切った時の少しマットな断面を再現。醤油に浮かぶ油脂にいたるまで本物そっくりな姿は話題を呼び、多くのメディアにも取り上げられた。
その開発の裏に、どんなストーリーがあったのか。そして、食肉メーカーの日本ハムが、なぜ生のまぐろの再現に取り組んだのか。プロジェクトに取り組んだメンバーに聞いた。

調理例

日本ハム株式会社
渡部賢一(わたなべ・けんいち)・加工事業本部 マーケティング統括部
商品開発室 業務商品開発課 課長
2003年、日本ハム入社。研究・開発・品質保証部門などを経て、2023年より現職。これまでで特に印象に残る仕事は、入社2年目~6年目に長崎県諫早プラントで担当した商品開発。新規導入されたカップ充填のラインの販路を考えるため、さまざまな食品を開発、半球状のカップにコラーゲンとチキンエキスを閉じ込めた鍋の素「コラーゲン玉」をはじめとして20件余りを商品化した。

日本ハム株式会社
品川風太(しながわ・ふうた)・加工事業本部 商品統括事業部
技術開発室 デリ商品研究開発課 リーダー
2017年、日本ハム入社。ハムやソーセージの機能に関する研究開発や、既存商品の工程改善などに携わった後、入社4年目からハンバーグ、ピザ、中華総菜などデリ商品の開発を担当し、23年より現職。「今は代替たんぱく質と呼ばれるプラントベース食品が、店頭で肉や魚の隣に普通に並び、『今日はこれにしよう』と選ばれるようになれば嬉しい」
野心的な目標設定が、魚介系プラントベースフードへの挑戦を後押し
2024年6月、兵庫県姫路市で開催された「世界銀行・防災グローバルフォーラム(UR2024)」。日本ハムは、同フォーラムの参加者のランチに、SDGs(持続可能な開発目標)を考慮した3つ(「プラントベースまぐろ」「ナチュミート フィッシュフライ」「グラフォア」)の商品を提供した。なかでも注目を集めたのが、ハムやソーセージの加工技術を活かして開発された植物由来のまぐろの刺身「プラントベースまぐろ(業務用)」だ。
国内の食肉メーカーが「植物由来の生の風味のまぐろ」を開発したのは初。日本人が愛してやまない刺身の定番を非水産系のメーカーが再現する……そんな大胆なチャレンジの背景にあったのが、2021年9月に開催された日本政府主催の国際会議「東京栄養サミット」で日本ハムが表明した「2030年までにプラントベースフード分野で出荷金額100億円を達成する」という、野心的なコミットメントだったと、渡部は振り返る。
国内の食肉販売量シェアの20%、日本人のたんぱく質摂取量の6%を供給し、「たんぱく質供給メーカー」を標ぼうする日本ハム。実は代替肉に取り組んできた歴史は長い。近い将来に発生が予想されるたんぱく質クライシス*への対応を視野に、非動物性のプラントベースフード分野への参入を始めたのは2014年春頃のことだ。
ニッポンハムグループのプラントベースフードへの取り組みの歴史
ニッポンハムグループは、およそ10年にわたるプラントベースフード開発のノウハウを積み重ねてきた
長年の商品開発で培った加工技術が武器に
最初に取り組んだのは、大豆を主原料とするナゲットやハンバーグなどだった。これらを外食店やコンビニエンスストア向けのPB(プライベートブランド)といった業務用として展開。

そこで培った加工技術をベースに、2020年3月には大豆たんぱくを主原料とする「ナチュミート」シリーズ(一般消費者向け)の第一弾としてハンバーグなど5品を発売した。2024年現在は、ハンバーグ、メンチカツ、ハムカツ、から揚げが店頭に並ぶ。「同シリーズには、当社が業務用総菜の製造で培った味作りの知見を注ぎ込みました」(品川)。それが消費者に好感され、「風味が肉っぽい」「ボリューミーで食べ応えも十分」と「ナチュミート」シリーズは発売当初から話題を呼んだ。
一方でプラントベースフード市場にはこの時期、多くの競合が参入していた。そのため「せっかく良い商品を作っても、価格競争に巻き込まれて、当社ならではの強みを発揮しにくい状況でした」(渡部)。まだ他社が目をつけていない未開拓の領域で勝負したいという思いは、実はこのプラントベースフードを開発している当初からあったという。そう考えた渡部と技術開発室が水面下で研究していたのが、プラントベースの「代替シーフード」だった。
ちょうど、社内では2021年12月に開催が決まっていた「東京栄養サミット」のコミットメント案づくりに向けて、プラントベースフードだけで出荷金額100億円という目標が練られていた時期。現場で想定していたより高い目標を達成するには、大胆な発想で挑戦することが不可欠だった。
プラントベースフード先進国の米国では、以前からスタートアップなどが代替シーフード作りを行っていたが、この頃、日本国内で代替シーフードに取り組んでいた企業は、食肉系・水産系ともほぼ皆無。その理由は「代替シーフードの開発が代替肉に比べて難しいからというより、『前例がないから』にすぎないように思えました」(渡部)。
日本ハムには、魚を使った商品の開発事例はない。「『本物の魚に関するノウハウがないのに、プラントベースフードとして再現できるのか』という声もありました。ただ一方で、当社にはハムやソーセージ、和洋中の総菜、デザートなど、幅広い商品の開発で積み重ねた加工技術や『おいしさ作り』のノウハウがある。それらは必ず代替シーフード開発に生かせる。取り組まない手はないと思いました」(渡部)。
こうして2021年6月、大手食肉メーカーがプラントベースで代替シーフードを作るという異例の挑戦が始まった。
魚を食べられない人にも「食べる喜び」を
最初に挑戦したのは、ハンバーガーチェーンやお弁当チェーンなどでよく使われている白身魚のフライ商品の開発。
白身魚の身のほぐれ具合を再現するという難しい課題を克服し、まず2022年3月に業務用のフィッシュフライを発売開始。2023年3月には一般消費者向けに「ナチュミート フィッシュフライ」を発売した。同年5月には、弾けるような海老の食感が特長の「ポップコーンシュリンプ(業務用)」の発売が続く。現在、業務用は大手外食チェーンなどを顧客として、順調に売り上げを伸ばしている。
そして第三弾商品として、2023年6月から開発に着手したのが、プラントベースまぐろだった。
「フライなどの総菜系商品だけではラインアップとしてまだ十分ではないと考えました。刺身でも寿司でも食べられて、汎用性が高い『生魚』は代替シーフード市場を開拓するなら挑戦すべき分野ですし、絶対加えたかった。まぐろを選んだのは、日本人が好きな刺身としていつも上位に入り、寿司ネタとしても世界的にも人気だから。インバウンド需要も期待できますし、国内販売だけでなく、輸出の可能性もあると考えました」(渡部)

プラントベースまぐろの原料の素材選びも含め、レシピ作りをゼロから担ったのは、2017年に入社後、ハム・ソーセージ商品・デリ商品の開発を担当し、プラントベース分野では「ナチュミート ハンバーグ」のレシピ開発も手掛けた品川。「食べることと研究が大好きで『食べる喜びを届ける』という日ハムの企業理念に共感し、入社を決めた」という若手研究者だ。
プラントベースまぐろは、たんぱく質の含有量が少ないこんにゃくなど植物性素材で作られる、魚の姿をしつつも、新たな価値を生み出す商品という位置付けだ。
「『貴重な水産資源を守る一助となる』『さまざまな理由で魚を食べられない人たちの食の選択肢になれる』という特長は、プラントベースまぐろの大きな魅力。たんぱく質などの栄養価は本物と比べて高くない分、よりヘルシーなダイエットフードとして価値を見出せるかもしれません。食の新たな可能性や持続性を実現する“新しい食品”の形を作り出すことだと思っています。食べる喜びを届ける企業の一員として、開発に参加できることに喜びを感じました」(品川)。
素材の組み合わせや混ぜ方で、食感が激変
プラントベースまぐろのレシピ作りにあたり、渡部と品川はまず、目標とする食感を定義するところから着手。「まぐろらしい」食感とは一体何かを議論しながら突き詰めた。
二人が行き着いたその食感とは「口に入れた瞬間はやや硬く身が締まっているものの、噛むと後を引くようなねっとりした食感が生まれ、それが滑らかに溶け、最後は繊維っぽさが舌に残る」というものだった。まずはこの食感を目指すことにした。
口の中で何段階にも変化する、まぐろの食感を分析した
どの原料なら再現が可能なのか。品川は、日本ハムが長年の商品作りで培ってきた知見、自らの経験、業界の食材の最新情報などをもとに、「ゼリー状の柔らかさを持つ素材」と「固まりやすい性質を持つ素材」の両方をバランスよく掛け合わせるのがベストだと判断。さまざまな選択肢を検討し、こんにゃく粉と食物繊維を主原料とすることに決めた。
ただ、こんにゃく粉や食物繊維と一口に言っても、製法や産地によってさまざまなタイプが混在する。最良の組み合わせを見出すまでに、品川は数えきれないほどの試行錯誤を繰り返した。
「素材同士の組み合わせや、混ぜ方の少しの差で、まぐろの刺身とはかけ離れた、プリプリした食感のものができたり、べちゃべちゃしたもの、フワフワしたものなどもできたりしました」(品川)。
味作りも一筋縄ではいかなかった。「通常の総菜であれ、ナチュミートであれ、これまで私が開発してきた商品は、揚げる・焼くといった加工の過程で、狙った風味をつけることが可能でした。けれどプラントベースまぐろは、素材そのものが持つ力でまぐろが持つ複雑な風味を表現しなければいけない。その風味の“決定打”となる素材をなかなか見つけることができませんでした」(品川)
壁を打ち破るヒントとなったのが、生のまぐろに特有の「血を思わせる香り」。「敬遠されがちなこの匂いが、実はまぐろのおいしさを構成する不可欠な要素」であることに気付いた品川は、鉄のような風味を表現できる原料を探しだして配合。まぐろらしい風味にぐっと近づくことができた。

見た目だけではなく、風味や脂の乗り具合まで忠実にまぐろに近づけようと試みた(調理例)
「まぐろの柵のような形状の試作品」ができたのは、開発開始の2カ月後。ここから、試作品をたたき台に、分析→評価→改善を繰り返し、「より本物に寄せていくブラッシュアップ」が始まった。
特に重視したのが、人の五感を用いて品質の確認・判断を行う官能検査だ。試作品と本物のまぐろの刺身を並べて多くの人々に食べくらべてもらい、味わい、舌触り、歯ごたえなどに関する意見を聞いた。肯定的な意見ばかりではなかったが「批判的な意見にも『なるほど』と頷けるものがあり、足りなかった視点に気づかされました」(品川)
「本物らしさの追求」という軸を外さないよう留意しながら、寄せられた意見を踏まえ、風味、食感、見た目などの微調整に励んだ。一例が柵をカットした際の断面の見え方。「刺身こんにゃくのようにつるっとしている」という声を受け、原料の混ぜ方の手順を見直したところ、“まぐろの赤身らしい光沢を抑えたマット感”を安定して再現できるようになった。「微調整を重ねるほど“解像度”が高まり、まだ見ぬプラントベースまぐろの輪郭がくっきりと見えてくる。そんな手ごたえを感じました」(品川)

品川が所属する技術開発室がある、日本ハム食品株式会社 関東プラントのキッチン。3人のシェフも在籍する。ここでさまざまな試作が行われる
原因をもとに対処策を考える解決法が、迅速な商品開発のカギに
プラントベースまぐろの開発過程を、品川は実に楽しげに語る。だが、前例のないチャレンジには多くの失敗がつきもの。失敗の数々を、どう「楽しさ」に変えることができたのだろうか。
この問いに「私たち研究職が“試験系”と呼ぶ課題解決手法を冷静に実施することが大切だった」と品川。「課題が起きたら、あてずっぽうに対処策を考えるのではなく、課題が生まれた背後の要因をまず洗い出す。そして1つ1つの要因を実験で検証します。例えばまぐろの食感に滑らかさが足りないとしたら、材料の混ぜ方、混ぜる温度、時間などの“食感を左右する要因”を1つずつ挙げ、条件を変えながら検証する。そして検証結果から原因を特定し、ベストな改善策を考え、実行するのです」。
日々立ちはだかる課題に悩んだり落ち込んだりすることなく、できることを淡々と粘り強く、かつ迅速に研究にまい進することを心がけたという。あとは、そこで出てくる仮説とその検証作業を面白がれるか。半年という短い期間で試作品を作り、調整を重ねてプラントベースまぐろのレシピを確立できたその背後には、入社以来培ってきた食品の加工・開発の技術に加え、研究者マインドに裏打ちされた課題解決能力の存在もあったと言えそうだ。
こうして完成したレシピを携え、品川が向かった先は日本ハムのグループ企業・日本ハム惣菜株式会社の宮崎工場。この後、プラントベースまぐろの開発プロジェクトは、品川が「最高の相棒の1人」と呼ぶ、同工場の商品開発課主任・勝田尚樹とともに「量産」のフェーズへと進められることとなる。
(後編に続く)