Project Story 03 食物アレルギーに悩む人にも、悩んでいない人にも、伝えたかった。「みんなの食卓®」シリーズ認知向上プロジェクト

2013年8月17日。澤山は、家の近所のコンビニで、その日発売された雑誌オレンジページを手に取りページをめくった。
あった、「みんなの食卓」の広告だ。落ち着いた色調とデザイン。有名タレントも起用していない。しかし、澤山はずっと見つめていた。
「みんなの食卓」の担当として、初めて手がけた広告だからではない。この小さな広告には、1996年から積極的に食物アレルギーに取り組んできたニッポンハムグループの想い、子供を育てる親の想い、そして、食物アレルギーに4年間取り組んできた澤山の想いが、ぎゅっと詰まっていたからだ。

「食べる喜び」を届ける企業として。

「食べる喜び」をすべての方にお届けしたいとの願い、また、つなぎなどで乳成分や卵白が使われるハム・ソーセージなどを扱う企業の責任として、ニッポンハムグループは、1996年以来、いち早く食物アレルギーへの対応に取り組んできた。
1999年には、食肉製品で初めて厚生省(現厚生労働省)のアレルゲン除去食品表示許可を取得。その後も、アレルゲン検出キットの開発、特定原材料を使用しない「みんなの食卓」シリーズの発売、特定原材料7品目を持ち込まない食物アレルギー食品の専用工場の設立、また、食物アレルギーで悩んでいる方に、できるだけわかりやすい情報を発信したいとの思いから、№1食物アレルギー情報サイト「食物アレルギーねっと」の運営、食物アレルギー教室の開催など、他社に先駆け、多方面にわたる取り組みを推進してきた。
しかし、こうした取り組みは、あまり知られていない。

もっとアピールすべきなのに。学生時代から思っていた。

現在、加工事業本部広告宣伝室で「みんなの食卓」のマーケティング・広報・宣伝を手がけ、認知向上に取り組んでいるのが澤山だ。
大学院での専攻は醸造学。入社後は、加工事業本部商品開発研究所で微生物制御などを手がけていた。「でも、就職活動の企業研究で、ニッポンハムグループが食物アレルギーに取り組んでいることを知って、ずっと関心を持っていたんです」。もっとアピールしていくべきと考えていたから、2010年に現部署(当時はマーケティング室)へ異動となり、「みんなの食卓」を担当すると聞いたときは嬉しかった。

「ターゲットが限られる商品」

だが、異動当時は今以上に認知度が低かった。社内でも。「商品名を言えない同期もいたりしました(苦笑)」。今でも、「対象が限られる『みんなの食卓』より、ターゲットの広い商品に力を入れたい」という営業の声を聞く。もっともだと思う。
しかし、食物アレルギーの方、子供たち、その親、保育所など教育関係者と、これまでいろいろな人に会い、話を聞いてきた澤山は別の考えを持っている。

結論。「食物アレルギーに関係ない人はいない」。

「この前、急に小麦アレルギーになって。やっと食べられるパンを見つけた!」と言われたのは、2010年の米粉イベントで行った北海道。食物アレルギーマイスター資格取得のために通った教室では、ある女性がケーキを焼いてきた。おいしく食べていると、その人が「これがケーキの食感なんですね」と一言。小麦アレルギーのため、それまでケーキを食べたことがなかったのだ。保育所の調理場で働く人たちが、食物アレルギーに細心の注意を払って料理をつくる姿も見ている。「品物が着くと子供が離さない」「食物アレルギーのない私が食べても普通においしい」など、「みんなの食卓」のネット購入者の声も読んだ。
いつしか澤山は、「食物アレルギーに関係ない人はいない」と思うようになった。「今なっていない人も、いずれなるかもしれない。本人だけではなく、その家族、友達、パートナーにも、あるいは、将来の子供や孫にも、その可能性はありますよね?」

スペックを訴求するのではなく気持ちに訴える広告を。

そんなとき、オレンジページへの「みんなの食卓」広告掲載の話が持ち上がる。オレンジページには、それまでも、グループのいろいろなブランドの広告が掲載されてきた。しかし、「みんなの食卓」の広告出稿はまれ。これまでの内容は、食物アレルギーに悩む人向けに成分やスペックを謳ったものばかりだった。
澤山はもっと情緒的なものにしたいと思った。「食物アレルギーに関係ない人はいないという想いがあったから、広くいろいろな人の気持ちに訴えるものにしたかったんです」。

新米ママの友達や同僚がくれたヒント。

それを伝える切り口としてヒントになったのは、澤山の友達や同僚の話だ。当時、澤山のまわりには、新米ママが増えていた。「みんな、『初めて子供に食べ物を与えるときは、いつもドキドキ。だから、なるべく安全なものをって考える』って言ってたんです」。これだ。このママの気持ちにフォーカスすれば、より多くの人が対象になる。
方向性やコンセプトを示すオリエンテーションの日。オリエンという言葉も知らなかったと笑う澤山だが、広告代理店や制作会社の前で堂々と言い切った。「ママの気持ちに寄り添ったものにしたい」。

4年間のこだわりが詰まった広告。でも、通過点。

広告制作が始まる。「1996年に活動を始めてから十分にアピールできていなかったということもあったし、自分自身、4年間の中で考えることもあったから、すごくこだわりました」。あくまで自分のことと捉えてほしいから、デザイナーやカメラマンと話し合い、特定の人のイメージにつながる顔写真は使わないことに決めた。コピーは何度も推敲を重ねた。「本当に最後の最後まで、『てにをは』の一つひとつをコピーライターと話し合いました」。
2か月後、完成したものを誌面で見たときは、感慨も一塩だったのでは?「確かにそうです。でも、あくまで通過点」。2013年は、年間を通じてインナーマーケティングに力を入れ、社内に食物アレルギーに対する会社・社会の動き、販売の成功事例などを発信した。「社員に『みんなの食卓』をもっと知ってほしかったし、それでファンになった人が、社外に情報発信してくれればと思ったんです」。
2014年は「みんなの食卓」発売10周年。一人でも多くの人にファンになってもらいたいと、新しい取り組みを模索中だ。

子供連れの女性が見て泣いていた。

お客様問い合わせ窓口への、「みんなの食卓」に関する問い合わせは増加しているという澤山。あの広告の反響は?「残念ながら、大きくはなかったです」。けれど、こんなことがあったと言う。
あるイベントで、澤山の手がけた広告が、イベントのパンフレットに掲載された。それを、子供連れの女性が見て泣いていたというのだ。澤山の手がけた広告は、確かにママの想いに寄り添えたようだ。

Profile : 日本ハム株式会社 加工事業本部 広告宣伝室 主任 食物アレルギーマイスター (NPO法人アレルギー支援ネットワーク認定) 2007年入社 澤山 彩
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